なぜ恋をしてきたか
私は、一度誰かを好きになると、平気で2年とか3年とかのスパンで片思いを続けるタイプの人間だ。もちろんその間にお付き合いに発展すれば、その時点で片思いは終了なのだが、たとえば相手が既婚者だったり、脈なしだったりした場合、数年単位で、好きでい続ける。
そして、好きになるのは大抵ものすごく年上かつものすごくスペックの高い人だったりするから、うまくいかないことの方が多い。
この前、そんな自分の恋愛傾向について他人に話したとき、相手に「あなたは、その人が好きなのか?もしかして、生活に刺激を与える必要性から恋愛しているのでは?」という内容の指摘を受け、あぁそうかもな、と思った。
だが、私が必要としているのは多分刺激ではなく、「生きる理由」「現実世界に留まる理由」ぐらい切実なものなような気がしている。
思い返すと、誰かに恋をしていない期間、私は空想の世界に傾倒することが多かった。本や漫画を読んだり、自分で作ってみたり、他には歴史上の人物に傾倒して、その時代や人物について徹底的に調べてみたり、その人の信念や発言を内面化しようとしてみたり。
同時代の生きてる相手ではないが、擬似的に恋をしているような状態だったような気がする。
そう考えると、私には恋をしていなかった時期が無い。
恋と言うとすこし意味が狭いが、要は常に、実在であれ非実在であれ、誰か自分のガイドとなるような人を必要とし、実在であればその人と一緒にいられることに価値を、非実在であればその人に少しでも近づくことに価値を感じながら生きてきた。
私がこれまでの人生で立てた目標や、こっちに進もうと決断した方向性で、ガイドとなるべき人物無しに決められたものはない。
いつも「先生に恋をして勉強する」「歴史上の人物に恋をして進路を決める」「同僚に恋をして仕事を頑張る」という傾向があった気がする。
もしかしたら現実というのは、私にとってあまり好ましくないものなのかもしれない。それを自覚すると辛いので、現実を率先して生きていくために恋とか、傾倒が必要なのかもしれない。